これは私たち側からの視点になりますが、整体中は何も考えてはいけない事はこれまで何度か書いています。
何も考えないという事でも、そもそもなぜ私たちは整体を誰かに行なっているのか?そんなことが何も考えないという無意識の中でも根っこの部分で必ず無意識に作用しているはずです。
整体を勉強する集まりで考えてみると、いくつか重複するはずですが
・自分の体の為に整体を勉強している。
・家族・知り合いで調子の悪い人がいるので整体を勉強して治して
あげたい。
・普段は整体師として仕事をしているが、もっと上達したいので。
・医療従事者であるが薬・医者に頼らないで健康になりたい。
・接骨院・鍼灸院を経営、又はそこで働いているがその技術や知識
では患者を良くする事ができない為、整体を勉強して併用する事に
より患者を治していきたい。
・接骨院・鍼灸院・マッサージ・整体業等を経営しているが経営が
厳しいので出来る技術を増やしたい。
どうでしょうか、まだ他にもあると思いますが簡単に思いついた事だけを書いてみました。
私はボランティア精神がないと整体はできないと思っています。お節介な人だったり困っている人をみたらほっておけない性格だったり。
私なんかは誰かが道で脱輪やパンクしていたりすると気になってしょうがない性格ですが、ほぼ100パーセントでJAFや保険のロードサービスが使えるので「大丈夫ですか?手伝いますよ」といっても「いえ、もうJAF呼びましたから」とそっけなく言われ「なんだよ!! いかなきゃよかった!!!」なんて思った事もありました。
根っこの部分で整体をしている意味がなんなのかによって整体って
変わってくると思っています。
武道やスポーツでも昔から心技体といいますので、何も考えずそっと手をあてるだけでもその処には伝わるものが違います。
そっと押さえてるつもりでも棒で物を押すがの如くの整体もあれば
(それは整体とは言いませんが・・・)、力強く緊張するような痛みがあるように押さえられても最後には身体から力を抜けている整体もありどれが正解というわけでもありません。
弱く押されて相手が「弱すぎ、もっと強く押せ」と思うのか
強く押されて相手が「痛い、こんなの整体じゃない」と思いその整体全てを拒絶するのか、それとも最初から素直に全てを受け入れるのか。
そんなことでも変わってくるのでますます正解は難しくなります。
ですが多くの場合は最初から答えは出ています。何を思い、どのように整体をしたとしてもダメ時はダメ。いい時はいい。ダメな時は神様でもダメなんではないでしょうか。
ボランティア精神といえば押し付けがましくなるので、奉仕の心のようなものが少しでもあれば整体ができるのではないかと思います。
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