クレイジージャーニィーで、囲碁名人の人生をしておりましたが、囲碁という仕事ができて勉強家でありその世界ではすごい人であっても、仕事以外ではどうなのかとなるとそれは一般の考えでは理解できないような人であり常識から外れたような人物でした。
努力だけではどうしようもない芸術的センスがないとできない仕事ではそのような非常識な人間でなければ上の段階にはいけないはずです。
常識のある普通の人であるならば、その普通の枠の中で収まってしまいごく普通の事しかできないのではないかと思います。それはそれで悪いわけではなく当たり前の事が当たり前にできるということであり、安心して仕事を任せる事ができます。
ですけれどそれでは差がなくなります。誰がしても同じ事しかできなくて同じ結果にしかならない。
もし世の中のコンビニがセブンイレブンだけだったり、車がワゴンR、洋服屋がユニクロしかなかったらどれだけつまらなくなるでしょうか。
人間の顔がみな同じだったらどうなるでしょうか。
みんな違うからこそ世界は動いているのだと思います。
整体でも上手い人というのは変人が多い感じがします。一見変人を見せないように振舞っているので実際はどこまでの変人なのかわかりませんが、類は友を呼ぶのごとく変人を隠していても雰囲気でわかってしまいますし、一箇所に集まってしまいます。
そういう私もそうですから間違いはありません。
囲碁名人は「自分にしか打てない囲碁を探求する」という言葉を発しておりそれはそのまま自分に置き換えると「自分にしかできない整体を探求する」となります。
魅力的な言葉ですが実際は自分のしている事は他の誰かがとおにしていたり、それ以上のことをしていたりします。
自分にしかできない・・・
それが本当にできれば極みでしょうけれど、そうなりたいものです。
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